自分で城を構えて解る師の有り難さがあります。
塾長のとこにいる時は、何もかも自分でやらなくてはいけませんでしたし、
塾長はおおざっぱな方向性しか言わず、聞き手側の解釈によりどうとでもとれるような言葉が多いので、
私が解釈を間違えた時に叱られるくらいで、いつも1言われたら100ぐらいやって、結果を出すような感じでした。
しかも結果だけじゃなく、過程が重要です。
過程を光らせるために結果を残さなくてはいけないというスパルタが米谷流です。
よく何年も持ったなー…とたまに振り返って考えさせられますが、全てが良い思い出です。
熊本を出てからも、塾長とお付き合いがある人とは、いつも塾長の下で学んだことを笑い話に華が咲きます。
何もしてくれず全部自分でやらないといけないというのは、
逆から見たら、全部自分にやらせてもらえるということです。
私は「自分にやらせてもらえる」と考えたから塾長の下が楽しかったのですが、
「自分がやらなくてはいけない」という考え方から脱出できなかったら、塾長の下が苦痛になったと思います。
熊本、東京という風に塾長と距離がある今、しみじみと感じます。
自由にやらせてもらったなーという感謝です。
上村剛個人が自由にするのは勝手です。
30年以上の歴史がある青年塾の上村剛が自由にさせてもらったことにです。
私の知らないところで、気を使っていただいたり、頭を下げてもらってたはずです。
感謝するばかりですが、私も次の世代の人間達に同じようにしなくてはなりません。
私を筆頭に、青年協議会スタッフ達はまだまだ発展途上の者ばかりで、
謝罪やクレーム対応も多いですが、
今までは、全部塾長達先輩方々がやっていただいてたことです。
時代はめぐります。
「自分にやらせてもらえる!」と考えれるスタッフだけが残っていき、
そう考えれたスタッフ達が、数年後は責任をとる立場に育ってくれるんだろうと微笑んどきます。
青年塾スピリッツを持つ子や孫が何人できていくのか楽しみです♪