「しょうがないという言葉は大嫌いだが、そう思わなくては先に進めない時もある。」
という塾長の言葉が頭をよぎりました。
青年協議会の青少年育成部は法務省管轄の矯正会に登録し、罪を犯した子を進んで雇用をしております。
ボランティアを受ける側の人間をボランティアをやる側へ変えたが、社会への貢献度は高いと思ってるからです。
労力はシャレになりません…昼夜関係なく、何かしら問題が起きます。
ですが私は「人は行動によって学ぶ」というのを信じてますので、過去がどうであれ、入り口がどうであれ、まず受け入れます。
刑務所から出たばっかりで、お金に困り生活のためだろうとも、
NPOは儲かると勘違いしてからでもです。
やりながら学ばせればいい!
と常々考えてますが、自分で変わる気がなければ、意識改善の歩みは遅いです。
困るのは、意識は低くても、仕事はそつなくこなすという場合です。
ですが、意識が低いと、生活の節々に違和感が見れます。
これをマニュアル化というのは難しいですが、口先だけの善意というのは必ず見破ることができます。
活動を通じても「社会のためではなく自分のため」という意識の場合、
「ゴメン!俺じゃお前を変えることができなかった!」
と謝り、去ってもらわなくてはいけないという事が起きました。
意識が高くて仕事もそつなくこなすのは、ほんのひとつまみです。
NPOでも、私欲が強い方が社会に対する貢献度は高いというのが、正直NPOの辛い現実ですが、
それは短期的な結果だけで、長期的に見ると、意識が高いスタッフ達は、必ずや結果を残すタイプに変わっていってくれてます。
大事なのは気持ちです。
ゆったりとした眼で構えるのが大事ですが、意識改善はどこかで期間を区切らないといけないなと考えさせられました。
私から見たら、意識が低い子も高い子も、みんな可愛い子供です。
意識が低い子も、いつかは変わってくれると信じてるからです。
それでも、真面目にやってるスタッフ達が損をするといことにならないよう、諦めなくてはいけない時もあるなと勉強させられました。
これを改善させるためには、まずは自分の器を大きくするしかありません。
うちの子が悪いんじゃない。器が小さい自分が悪いんです。