身を削り人に尽くさんすりこぎの
その味知れる人ぞ尊し
米谷庵に張ってある言葉で、塾長からも「どんどん人に使われなさい!」と教えられてます。
ですが、悩みの種でもあります。
私は勿論のこと、塾長が度々悩んでる姿も見てきました。
人から使われるのは良いことです。
ですが、「使われる」と一言で言っても、色々な使われ方があると思います。
活用。利用。悪用。
活用。使われることによって社会が良くなるのなら、ドンドン使われたいものです。
しかし、そこに私欲が絡んでしまえば、「利用された!」となりますし、
結果社会にとって害となれば、「悪用」となります。
良かれと思い使われて、利用された!悪用された!という場合に、凄く胸が痛みます。
上村剛は笹沢佐保塾頭と米谷正勝塾長からの歴史、信用、人脈がありますので、人を見極める力をつけなくてはなりません。
胸が痛くなる度に塾長に相談するも、
ウンウン…の後は、「それでも人を信じなさい!」で終わります。
ツボにはまり、活用していただいた時の喜びは、自分の力でやる時とはまた違う喜びがあります。
塾長が良く口にする「黒子の精神」「踏み台の喜び」「捨て石の美学」を感じることができます。
しかし、いつもそうという訳ではなく、胸が痛くなることも多々あります。
上村剛はたくさんの先輩方々に良くしていただき、ドンドン活用させていただき今がありますので、
上村剛も後輩達にドンドン活用してもらわなくては…と常日頃から考えていますが、
「使われる」ためには、「使う」より強い心が必要みたいです。
私もまだまだ前線に出ることもありますが、それだけでなく、もっともっと強い心を持ち、次世代の若者達につないでいかなくてはなりません。
精進致してまいりますので、御指導御鞭撻のほど宜しくお願い致します。