秘書の方にはいつもご助力いただいてるのですが、原田義昭代議士本人とお会いしたのはこれが初めて。
初めてだったのですが、話せば話すほど、
なんで今まで出会えなかったのだろう?
という感でいっぱいになりました。
月刊「日本」の南丘主幹は震災後から今お世話になってる方ですが、
全国難病連の伊藤たてお会長など、リヤカーでのお掃除旅の時に私がお世話になった方々と原田代議士が親交があられて、
話すたびに「え…それってあの…私もずっとお世話になってます!」みたいに驚きの連続でした。
日本って狭いなーとしみじみ感じましたが、塾長の言葉をお借りすれば、
人は会うべき人には必ず会う。遅からず早からず。
これだけ色々近い場で活動させていただいてて、今日やっとお会いできたということは、そういうことなのでしょう。
初対面のくせに山ほど陳情を持っていったのですが、
原田代議士は即答で
「できることは全部すぐに!」
と全面協力を約束していただきました。
私の力ではありません。
かといって企画の内容が…という訳ではないと思います。
どんなに素晴らしい企画でも、7回も当選されてる方ですので、吟味に吟味を重ねた後に返答というのが当たり前だと思います。
陳情にたどり着くまでの話の中での登場人物の皆さまのおかげです。
上村剛をご存知の方でしたら理解していただけると思いますが、
「上村剛は俺が育てた!」と言っていただける方が日本中にたくさんおられます。
もちろん米谷正勝塾長という師がいるのを皆さま知っての上です。
それくらい、上村剛は日本中の方々のお世話になって今があります。
そしていつまでも、日本中どこもかしこも足を向けて寝れない…という生活です。
そのお世話になった方々と原田代議士が近しい存在だったということです。
原田代議士にお会いしたくて近しい存在の人間の人脈を…と考えてはたどり着けなかったでしょうし、たどり着いても、それなりの対応だったと思います。
世の中よくできています。
全ての人に対して「おかげさまで」と心の底から思い、お付き合いさせていただければ、
狭い日本、必ずや、自分に必要な縁をもてます。
損得感情でのお付きあいではなく、感性や直感を信じてのお付きあいが、長い眼で考えると、結果的に自分にとって有益なこととなる。
振り返れば、兄貴分の坂井学前復興政務官も、出会ったばっかりの兄弟付き合い初めの頃は、まだ浪人で…国会議員になって色々お手伝いしてもらおうなんて夢にも思いませんでした。
世の中よくできてます。
「おかげさまで」の姿勢と縁について、あらためて考えさせられました。
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原田義昭議員との出会い
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