宇野全匡和尚です。
その昔「西の米谷、東の全匡」という風に青年塾が全国に拡がっていきました。
大先輩達(村山市の議長もおられました。青年塾は日本全国に凄い先輩が多いのです。)と宴を開いていただき、
一晩中御指導いただきました。
親分、親団体を持つというのは、有り難いことなんです。
青年塾の看板を背負わないでのリヤカーのお掃除旅だったら、
ただの「好き者」か「変人」と評価されてたでしょう。
そんな旅で出会ったから始めた復興支援事業も、旅で出会った日本全国の方々からの協力でスタートダッシュができました。
そして今は、あの旅があったので「街の清掃と街頭募金で青少年育成をいたします。」というのを、違和感無く受け止めてもらえてます。
ずーーーーっと続いてるのです。
今の経営方針、人材つくりの方針も、
塾長から教わったこと、
イコール塾長、全匡和尚、笹沢左保塾頭達が実践して学んで築いてこられたことを私が真似してるだけです。
「爆発力」と「地域に根差す」という風に、青年協議会と青年塾は、全然違います。
塾長は違いを認めてくれ尊重してくれました。
三十歳ほど違うので、社会での役割は違います。
違いを認めることで一つになれました。
そのうち青年協議会スタッフ達も歳をとります。
その頃、塾長や全匡和尚の孫達が青年協議会入りして、
逆に青年協議会から、新しい青年塾を作り出してくれるでしょう。
ストーリーはいつまでも続きます♪
先輩がいる有り難みに感謝した夜となりました。